クソデブエセ関西浪人底辺の落書き帳

デブがなんか言ってんな〜くらいに思ってください

人それぞれ悩みの種がある。

  こんにちは久しぶりどうもm(。≧Д≦。)mイキスギィ!!都市伝説です。あ、変換間違った。

 

   最近皆さん元気ですか、このテーマは暗くなるのでほかのテーマについても書くつもりですがとりあえず一発目は表題の件についてはなしますゎね❕

  「人の悩みを他者が120%理解することは難しい」ということを恥ずかしながら最近になって改めて知りました。だから、私が上から目線過ぎるかもしれないし、逆に下から目線すぎるかも知れません。腹立つと思いますけどどうかお手柔らかにお願いしまくりあげます🥲🥲🥲

 

 

以下:1000円お支払いで続きが読めます⬇️🦑

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   私には死にたいなって思った時期は結構ありまして、それが複数個ある内の大きな悩みの種となっています。顔や見た目のこと、人間関係のこと、勉強のこと等多々ありました。幼稚園児のころから小中高と経て今の大学院に至るまで様々悩んできました。環境が変わる度に自分が井の中の蛙状態であることを思い知りその都度病みました。まあ色々あったんだが………こうして今悩んでることの一つを言語化して更に(口語体だから分かりにくいし一発書きだから推敲とかもしなくて読みにくいけど)文章化することが初めてなので拙いですがよろしく🙏うんちぶり

 

①何となくの流れ

<環境の変化により悩みの種が膨らんだこと>

私は関西から都内に来て最初の頃はなかなか適応できず日々生き辛く感じていました。早くこの生活に慣れなきゃとストレスが酷く誰にも相談できませんでした。家族には啖呵を切って家を出たのでもちろん頼ることもできません。本当にすぐ近くに友人もいませんでした。その上劣等感まで感じていたのです、その大きな劣等感がのしかかってきて、希死念慮が大きくなっていきました。去年の春はもう死のうと思い自殺未遂をしました。でも、「死ぬからもうええねん」って考え方をやめました。そんな事しても何の解決にもなりません。運良く殺人犯が一思いにエイヤッて刺してくれる訳でもありません。他人に期待しても無駄だし、自分自身で解決していくしかないと思いました。とりあえず、大きな悩みの一つを潰すしかないと心に決めました。「死ぬからもうええねん」精神は、元々私の親から「死ぬ気で努力しろ」と口酸っぱく言われていたことが由来です。意味はもちろん違います。努力を否定されることが多かったです。だから、どうせ老い先長くないしやるしかないという考えがひねくれてひねくれてこの考え方に至ったと言えます。あくまで過去の自分の考え方であって今の私ではありませんから安心してください(?)

 

②具体的な悩みについて

<劣等感(他の人から見たらしょーもないけど)>

その劣等感とはズバリ他人と比べられて辛いから😭なんですけども、これは自分の中で比べて辛いのか、自分が実際に比べられたと受け取って辛いのかが分からなくて、当の本人は比べたつもりなんて全然ないと思うしね❓マジでわからない…気にしないが勝ちなんですけど、どうもこうして露骨にやられると病みますよね~😄端的に言えば、外部から来た私と内部から繰り上がってきた子と扱いの差が大きいということです。「最初からそんなんわかってたやん。大学受験頑張って最初からその学校に行っとけばよかったって話やん!終わり!」と言われればそうなんですけど、タラレバを言っても仕方がないので今の現状について話します。私は、この分野の⚔️がやりたい❕→ここの学校にはそれがある❕→でも本命のところの教授がおじいちゃんだから受け入れてないかも→じゃあ違うとこ行こか→論文読んであ〜すごいな〜これやりたいな❕→で今の研究室に入りました。こういうことしてますってもちろん入試を受ける前に言われたから楽しみにしていましたね。ほいで結局今の研究テーマに決まったのって去年の9月位なんです。(今の私の研究って正直誰にでもできます。これについては後述)教授にやりたいことはダメって否定されました。授業とかで忙しいし何するか決めてないし何より2年生の面倒見ないと行けないから忙しくてーと言われて少し放置されてました。今思えばその放置されてる期間にバイトと就活をやっとけば良かったのですが、正直生活に慣れるのに必死&オンライン授業で時間割カツカツで恥ずかしながら自分はそれだけでいっぱいいっぱいでした。他の研究室のこととか何も知らないし、その2年生の先輩は違う実験をしていて挨拶も返してくれなかったので、こんなもんなのかな…?と思って誰にも言えませんでした。もちろん内部の同期の子1人とその子の先輩の2年生は同じ研究室だったのですが、指導教員が異なりまして別物の研究をしていたのでほとんど会うことはありませんでした。スタートダッシュが遅れてしまいました。(この時点で詰み)正直単位を取る事に必死だったので、研究はまだなんだなーくらいにしか考えてなかったんです。そして、去年9月位と今年6月位に学科全体を通して中間発表がありました。私はスタートダッシュが遅れたのと病気で入院したこともあってあんまり進んでいませんでした。なので途中経過報告みたいな発表になりました。1回目の発表はあんまり気にしていませんでしたが、私ってなんかこんなしょーもないことやってんの?くらいにしか思いませんでした。2回目になってやっと気づきます。他の子達は病気の新たな治療法に繋がるような研究をしています。私はなーんもそんな人様に役に立つ研究ではありません。それに気づいた時は絶望しました。何のためにここまで来たんだろうか😎と思い悩みはじめるようになります。

 

③扱いの差

1年生の間、私の直属の先輩の2年生の人にしか構ってあげられないこの子もあんまり上手くいってなくてと言われました。まあ自分でなんとかするしかないかーと思い、先生も先生で忙しそうにしていたのでこっちからアクションを起こすことを躊躇いました。そして、その先輩自身も私のことが気に入らないのか挨拶すら返してくれませんでしたし億劫そうで、研究や就活については何も聞けなかったです。(話しかけないでオーラが酷い、でも全員に対してそうらしい、特別私にだけではないらしい)

同期とその先輩に関しては、優しく接してくれて感謝感謝でしたが、実際に会うことが少なかったのでなかなか関わることができませんでした。たまに会った時に授業大変ねーと言うくらい😰でも、発表練習は一緒に行いました。しかし、その子達は指導教員が別の人です、綺麗にスライドも原稿も仕上げてきっちり添削を受けてから練習していました(それが普通)、私の場合は忙しいごめん待って❕みたいな状態で先生が前日くらいに直してくれたやつを練習し持っていき、先生の言う通りにしたのにえーダメダメってダメ出しばかりされました。でもその後に同期の練習が始まってからは素晴らしい❕やっぱりすごい❕とべた褒め…事情が事情だからと理解はしていたけど、恥さらしされてクソ病むよね草、その子がめちゃくちゃマウント取ってくる悪いやつだったら憎めたけど、めちゃくちゃいい子❕本当にいい子❕だから余計に劣等感が大きくなって行って草

 

④人に相談できなかった

<頼れなかった>

親には大学院行くねんッとしか言わずに家を出たので具体的な研究内容とかは伝えていません。親は多分遊びに行ってると思っています。(まあ実際のところ自分の研究内容なんて恥ずかしくて言えません。)何がなんでも親に甘えずに自分で解決しなきゃって思っていました。東京駅で電車に乗る前に何回もボロボロに泣きながら新幹線乗って帰ったろかなとか思ってたけど、帰りませんでした。実家に帰ったら辞めて居座り続けるの目に見えてるので。

ほいで、私を指導してくれている先生は常に忙しく働いていて、私と深く関わろうとはしませんでした。それが逆に楽ではありましたが、コミュニケーション不足だったんだろうなあとは思います。私は就活のスタートダッシュも遅れてしまったのですが、1年生から2年生前期の時に「就活しちゃダメ❕研究をしなさい❕」と言われていました。それを真に受けて(?)あんまりそれらをしませんでした。自発的に動けなかったのです。あの時ちゃんとしとけばよかったなの繰り返しですけど、病気になったことと積極的に自分本位に動けなかったのが辛いなあと思います。1度だけ学校のカウンセリングに行ったことがあるのですが、上手く言語化できず伝わらなくて申し訳なかったです。そして、周りの人に相談しようにも上手く言語化できなかったので何も伝わりませんでした。これで分かってくれないしな❕とか開き直りはせず、とりあえず昇華できる方法を見つけて虱潰しにやっていくしかないなって発想を転換しました。

 

⑤まとめ

顔がブスとかいつまで経っても痩せないとか人間関係上手くいかないだとかそういうことで悩んでること自がこの大本の種に比べてマシなのではないか?そんなちっぽけな事で悩めるのはむしろ幸せなのでは無いか?と思い始めるようになり、脳みそは色々な思考で埋め尽くされて、結局私は白髪だらけ非嘔吐過食悪化ブクブクオバハンになってしまいました。身体が異常になってきたので、さすがに病んでても仕方ない。時は進むのみ。と思い、考え方を改めました。

まず最初は過去にふりかえって病みました。研究室選び間違えたんかな→学校選びすら間違えた?→大学受験失敗したのが悪くて草→そもそも英語得意なんだから理系じゃなくて文系行っとけば楽だった?→進学校(笑)に行かなければよかった?大学もついてる学校に行けばよかったのか?→そもそも生まれてきたのが間違い?→受精戦争に勝ったのが間違い卍

精子○〜だった頃に自我なんて無いから、たまたま劣性遺伝子が勝ってしまっただけなんですよ、そんなことを悔いても意味はありません。生まれてきてしまったんだから。そのマイナススタートから成長していくしかQOLを高めることはできないわけで。。。元々の生きづらい〜って状態から自発的に生きづらさを助長するような行為はNG🙅🏻

とりあえずね、発達障害グレーゾーン知恵遅れの私が年月は他の人の倍かかったけど無事に大学行って更に院まで行けたって凄いことなのかなって、そう思うようにしました。だって、大縄跳びに参加できなくて前回りもできなかったし体育で留年しかけた幼稚園児の頃の自分。ほいで小学2年のとき九九がなかなか覚えられなくて、7の段でつまづいてクラス皆の前で大恥をかいて泣き虫な自分。いろんな事で劣等感を抱いてきたけど、そんな過去の自分は大学院行くなんてまさか理系に進むなんて思わなかったし、ちょうどええんちゃいまっかと、そう思うしかないですね。充電器コード首に巻いたり、包丁で刺してみたり、薬大量に飲んでみたり、「もう死ぬねんだからええねん」って考え方でリセットしまくりあげてきましたが、そんなことをしても無駄であると20年以上生きてきたのにやっと気づけました。

 

まあ病むもんは病むんですけど…気にしないに徹するしかない(。-_-。)