クソデブエセ関西浪人底辺の落書き帳

デブがなんか言ってんな〜くらいに思ってください

ちん〜PO

今日も朝から下痢をしながらタバコを吸う。ぶりんぶりんっと。

 

平日の昼ごはんは野菜サラダにしょうゆか30円もするドレッシングをかけて食う。僅かしか残されていない時間を有効活用できるように必死にもがく。

 

毎日を泥のように消費しながらなんとか耐える。

これから時間をテキトウに浪費していつのまにか45歳とかになっているんだろうなあと悲観する。

 

この時期から友人が結婚したり、出産したり、人生のスタートラインに新たに踏み出していく。自分は何をしているのだろうと悲観する。

 

億が一、子供を持つならば、勉学はもちろん、動植物、英語、文学、遊び、など興味を持ったものにはどんどん挑戦させてあげたい。子供が自分の容姿に辟易するようなら、改善策として整形手術も進んでさせてあげたい。特に私が適当な理由をつけてやらせてもらえなかった、歯列矯正や脱毛などもさせてあげたい。幼い頃からコミュニケーションの大切さについても必死に教えてあげたい。オドオドしないで、積極性を身につけてほしい。一番はこの世に生まないことだと思う。私のように育ってほしくない。この汚い世界に生まれてしまわないようにと思った。

 

「あなたにはできない」 この言葉が私を苦しめた。私は私に自分にわざわざ限界と見定めて何もやらない何もできない理由を付け加えた。結局努力できなかった。いやできないじゃなくてしなかった。そんな自分が醜い。これを読んでいる貴方ならまだやり直せる。自分ができないと思い込んで努力を怠らないのはやめよう。

 

親、特に母親は言葉で私を苦しめた。と思う。何もできないと事あるごとに言ってきた。なんでこんな生きづらいのか?と思った。生きづらさを自覚したのは物心ついたときだった。何故私は同級生ができることをできないのかを幼稚園児の頃から悶々と悩んでいた。中学、大学、大学院、国家試験、そして就職先に合格した時も、おめでとうよりも文句を言われたような気がする。自分の人生どこで間違えてしまったのか。

 

よく分からない。生きていてなにが良かったのか。鬱のときこういう思考に陥ってしまう。

 

でも、今の私に関わってくれている人に感謝を忘れず、これからの人生を意味のあるものにしていくしか10代の自分を肯定する方法は無い。10代の自分に生まれてしまっても良かったんだよ。その節目節目の選択は何も間違えていなかったんだよ。と肯定してあげたい。

 

自分を認めてあげられるのは自分しかない。結局親に認められたかったんだと思う。それは多分変わらない。でも別に認められることなんてない。なら自分で生まれてしまったことを肯定するしかない。生まれてきてよかったんだよって、