クソデブエセ関西浪人底辺の落書き帳

デブがなんか言ってんな〜くらいに思ってください

底辺エピソードその1

こんばんは。今日は私の底辺エピソードの一つ、運動音痴マンについて語っていこうと思います。

私の家の近所では私を含めた同級生四人がいました。今は大学進学などでみんなバラバラになりましたが、小さい頃はよく遊んでいました。といっても、運動音痴、誕生日が遅く1人だけ反応が遅いなどの理由からいじられキャラでした。私はその四人の中で直立二足歩行が出来るようになるのがとても遅かったのです。母親はとても心配し、医者にこの子は障害なのかと尋ねたところ、極度の怖がりでなかなか立って歩くことができないとのことでした。私はその頃から""""カースト最底辺""""でした。赤さんの頃からインキャなのです。それはとても辛いでごわす。幼稚園はなぜか他の3人とは違うところの私立の方に進学しました(私の地域では幼稚園が3園あり、田舎の公立の幼稚園とスパルタ教育の私立の幼稚園が他にありました)。私はとてもその頃人見知りで引っ込み思案で何も言い返せない黙ったままでした、当然のように口達者な意地悪な女の子からの標的になりました。当時とてもお馬鹿な私はいじめられている自覚すらありませんでした。幼稚園では体育の授業が存在します。私は1人だけ何もできませんでした。遊具で遊ぶ時間もブランコしかできません。しかも立ち漕ぎは怖くて無理。縄跳び、跳び箱の授業では先生も同級生も呆れていました。体育の単位ギリギリで卒園できたものの、本当に危うかったです。

小学生、この頃からスクールカーストというものが顕著に現れてきます。私は幼稚園で仲良くなった友達全員が他の小学校に進学し、最初は怖かったです。小学生の時のスクールカーストって大体運動ができるか、できないかで決まるんです。私の立場は無かったです。一番記憶にあるのは、リレーのグループを決めるときにクラスで足の速い順に並べさせられて私は一番後ろで、クラス全員にこいつ入れるな!本当に入れるな!ていうか運動会来るな!マジで来るな!って言われました。メンタル弱すぎた私は号泣しました。運動会ほど嫌な行事は無かったが行かなきゃ単位がもらえないので仕方なく行きました。私の小学校は俗に言うイナカモンの集まりで排他的な性格で人をハブるのが大好きなオタクたちが多かったです。だから余計私はいじめられてました。その辺の頭おかしいエピソードは次回詳しく書きますね笑笑 

私は50メートル走 現在14秒、下手したらもっと遅いかも笑笑 で総合体力テストはE判定でした。 しかし、こんな豚にでもできるものがありました。それは身体の柔らかさ故のマット運動と水泳でした。 だから、中学では体操部に入りました。といっても私は体が柔らかいだけで、平均台、壁倒立、跳び箱は最初のうちは本当に何もできなかったです。周りからはなんでなんもできへんのにこんなんに入ってるん!?って驚かれました。しかし、プライドを捨ててしっかり練習した結果、倒立前転、ロンダート(だっけ?)、バク転など出来るようになりました。どんなに練習しても鉄棒で逆上がりもできなかったし、足も速くならなかった私が練習すればこんなにできるようになるんだ!と実感できたのは初めてでとても感動しました。

運動音痴すぎて体育祭の前になったら嫌われて、終わったら好かれるのは本当に慣れました。今の大学では体育がないからまだよかったかなあと思います。中高が女子校でよかった。男の子がいたらもっと虐められてたと思います。笑笑

怖がりの運動音痴なので、直立二足歩行だけでなく、自転車が乗れたのも中2でした。きっかけはサマーキャンプでした。サマーキャンプでサイクリングがあるとのこと。私は人生で自転車に乗るということを避けていました。流石に中学生で乗れないのはやばい!サイクリングあるし!という理由で自転車に乗る練習をしていました。中2でやっと乗れたのですが、今は乗れるかわかりません。怖いですし錆びて棄てました。

こんなもんかな、掘り起こせばめちゃくちゃあると思うけど、なんか思い出すの辛いから笑ってネタにできるようなこんな程度にしときます笑笑 ここまで駄文を読んでくれてありがとう😊 またねん🤙