クソデブエセ関西浪人底辺の落書き帳

デブがなんか言ってんな〜くらいに思ってください

入院日記② 入院生活編

 おはようございます。術後二週間以上経ちました。目がチクチクとする痛みと夏の汗問題で顔がギトギトということもあり不快&不快な日常を送っております。では三日目以降の話から語っていきます。

 三日目は起きたら術後よりはマシなのですがそれでも目の奥から頭にかけての鈍痛が酷かったです。この鈍痛は徐々に弱くはなっていくのですが、初めの頃はこんなん治るのかと不安でいっぱいでした。そのうえ、この日から毎朝検査に呼ばれました。時間はバラバラなのでゆっくり寝ていたら起こされることがしばしばありました。そしてこの検査なのですが。三種類行いましたが、これが痛いのなんの。閉じているものを無理やり開けさせられますので、当然涙が止まりません。しかもこの日から毎日、朝の早い時間には全然違う先生にされ、部屋に帰ってボーッとしていたら、また呼ばれて今度は手術の執刀医に同様の検査をしてもらうというルーティンでした。他人にされる意味ある⁉️って毎日思っていましたが、聞けずじまいです。執刀医の方は眼科の名門医の方で検査もすごく慣れているはず、この無理やり目をこじ開けさせられることはあまり痛くはありませんでした。しかし、日曜祝日の先生の場合、この専門という方ではなかったので、こじ開けられたおきには少し痛かったです。(皆さんとても優秀なお方なのは存じております)(上からですみません)本当にこのときは自分のことしか考えていなかったのでナニスンダヨーイテーンダヨ⚡️と心の中で暴れておりましたが、痛くないふりをしてなんとか乗り切りました。少〜しだけ、同室のおばあちゃんの気持ちがわかったような気がしました。

 コロナ禍ということもあり面会禁止だったので、本当に寂しく孤独を感じました。しかし、半身を横に倒したままで過ごすという体勢固定の制限があったため、ほぼほぼ動かずに寝ていました。そして、初期二日に全て吐いたこともあり、食欲はあまりわかず出されたご飯にほとんど口を付けずに過ごしました。吐くのが怖くて食べなかったものの、お魚料理は美味しくいただきました。ふりかけご飯が出たときには日本人に生まれたことの有り難みを思い知り、美味しいなと思いながら一人寂しく味わいました。最初はコンビニで買い物が出来ると言われておりましたが、私の場合片目で移動するのは危険すぎるとのことでコンビニ禁止令がだされたため、何も買い食いせずに呆気なく終わりました。病院にいる間はかなり胃が小さくなり痩せたと思います。(今は多分元に戻って太った)

    私は術後しばらくは入浴を禁止されていたのだが、四日目以降に首から下だけを洗っていいという許可がおりたため入ることにした。しかしこりゃまたびっくりアクメ❗️なんとまあ、男女共通だし、なんか変に広いしちょっと汚いし滑りそうやしみたいな、人権がなかった。まあ安全面を考えてなのか知らないが脱衣所というものが存在せず、簾を垂らしてそこで着替えた。いくらワイがデブのババアだとしても恥ずかしかった。

    ここからは持って行って良かったものや良くなったもの等について良い点と悪い点に分けて記します。

 良い点

・自分の匂いがついたハンカチ

 匂いというかまあお家の柔軟剤の良い香りのハンカチはとりあえずもっとけば落ち着きます。ギュッと握っていました(^◇^;)

・歯ブラシセット、コップ、箸、スプーン

 貸し出しは一切ありませんでした。

・コード長めの充電器

 どこにコンセント挿すとこがあるか分からないのでコードが長めだと安心🙆‍♀️

・汗拭きシート、メイク落としシート

 術後しばらくはお風呂禁止なのであればとても快適です。この時期は起きたらべと付いているので、持ってて損はない。

・まつげパーマ

 自分はすごく上下共逆まつげで上だけパーマを当てているのだが、上まつげが目の中に入って痛いことはなく、とても良かった。邪魔だったら術中に抜かれてしまうのではないかという不安はあったが、上がっていたからか(?)抜かれることはなかった。あと上のまつげが上がっているから目の中が見やすかった。

・イヤホン

無線と有線どちらも持っていったが、外界の音をシャットアウトしてひたすらYouTubeを見て過ごせたのが🙆‍♀️

 悪い点

・買い物

 買い物と一口に言うのも変だが、下のコンビニに行くのを禁止されていた。入院食をあまり食べなかったので、なんか下におやつ買いに行こが出来なかったのが不便だった。入院中無性にアイスミルクティーが飲みたくなって、自販機に行っても売ってなくて、黙ってコンビニ行ったろかなとか思ったけれど諦めた。諦めて水飲んだ。食欲が有り余るだろうなって人は入院する前になんか買っておいた方が良いかもしれない。

・勉強道具

 レポート書くやろと思って持って行ったが、そんなことしない。ていうか術後気分悪くてそれどころじゃない。体勢固定されていたから書けない。終わり。ただただ荷物重いだけだった。

・ちっちゃいぬいぐるみ

 術中は不安で怖すぎて号泣していたがそのとき手はよくわからん寝そべっている下敷きの布団のクッション部分を掴んでいた。得体の知れないものを一生懸命力拳で握っていた。怖すぎた。小ちゃい手のひらサイズのぬいぐるみがあればよかったかもしれない。

・タオル類

 結局お風呂に毎日入れなかったから、1セットで充分だった。

・したの逆まつげ

 これはパーマしてない自分が悪いのだが、下瞼はありあん逆まつげで毎日刺さりまくっている、手術した後の目は気持ち悪くて、多分この逆まつげも相まってチクチク痛痒かったので、気をつけて欲しい。

・電動カミソリ

 電動に限り持ってきてもいいって書いてあったけど、普通に裸眼の視力悪いので見えなくて剃れません。

・オリモノシート

 これ多分絶対あった方がいい。みんな持っていけよ。

 

 まあこれ見てる皆さんは大丈夫だとは思うが、目は本当に大事。私みたいに近視・乱視持ちは本当に注意して欲しい。眼球の局部麻酔の手術を乗り越えられたなら、多分いろんな手術ちゃんと乗り越えられると思う。意識がある中での針の先が見える手術は本当に怖いです。まあ覚悟しといてください。私は2度と受けたくないです。今度再検査に行きますが、悪くなっていたら再手術だそうです。本当にやだ☺️よくなりますように。

入院日記① 手術編

 どうも皆さんこんにちは。前から書こうと思っていた内容についてそろそろ書いてみようかなと思います。何故今日書こうと思ったかというと、昨日まで左目がただ痒かっただけなのですが、今日は激痛とまでは行きませんが不快感のある痛みが続き、めやにと涙も相変わらず出まくっていたので眼帯で一日過ごしたという背景があったからです。あと、このHP(http://www.totucare.com/ippan_content3-3.html)を読んで、自分の体験も皆様に公開出来たらと思ったからです。前置きが長くなりました。今回は結構長くなると思うので、興味がない方はスルーしてください。よろしく。勘違いしないでほしいのが、悪口を言いたくて書いているわけではありません。私のお世話をして下さった、全ての医療従事者の方へ感謝の気持ちでいっぱいです。それはご理解いただきたいです。

 事の発端は、大学院での健康診断の結果でのら左目の矯正視力の低下でした。急いで地元の眼科に行ったら、緊急手術が必要とのこと。大きな病院で精密検査を受けてくださいとのこと。びっくり仰天アクメでした。まさしくびっくりアクメ‼️残った時間は地元でたっぷり遊ぼうと思っていましたが、さすがにそんな気にはなれず、家でのんびり過ごしました。そして、都内に戻ってきて手術を受けたわけです。

 一応これでも医療従事者の端くれなので、大病院のシステムとか知れる良いチャンスだと思い、自分を奮い立たせ入院生活頑張ろうと思っていました。しかし、私は今まで手術というものを受けたことがありませんでした。それなりの恐怖心は存在し、どうしても全身麻酔じゃダメなのかと医師に相談しましたが、リスクがあるのでダメだと一刀両断されてしまいました(;´д`)トホホ…

    いざ手術当日。車椅子で手術室まで運ばれている間はとても緊張しました。まあそれでもこんなにデブなのに重くないのかな申し訳ないとか考えられる暇はありました。看護師さんに約1時間ほどとお聞きしていたのに、なんと私は3時間半以上もかかってしまいました。16:00からと聞いていたのですが、急に早くなったからもう行こうと言われて始まりました。もし予定通り16:00からだったとしたらもっと遅かったでしょうね。手術室に連れてきてくれた看護師さんは頑張ってね!と言ってバイバイしました。そしてもうえ、いなくなっちゃうの🙀となり緊張。手術を担当する医師に挨拶され、「手術したことある?初めてだと怖いよね!」と言われました。

ー私はこのとき未だドクターのドS具合を知りませんでしたー

 緊張しまくりテンパるビビりんの私はとりあえず仰向けにさせられました。とりあえず心電図の電極を貼られ、点滴麻酔を打つ静脈を必死にオペ看護師さんが探していました。私の静脈はとても見にくいらしく、何度か針を刺されてごめんなさいされました。私はもう正中にしましょうと言い、なんとか無事麻酔が入りました。それだけでも怖いのですが、学生時代に採血の実験台に何度もなったことがあるので、針を刺される怖さというものはなく救われたと思いました。本当に怖いのはここからです。まずドラマでよく見る覆う布を被せられ、手術する目だけを露出した状態となりました。そして鼻呼吸できるように鼻に酸素管をはめられました。下瞼の涙袋より下の部分から針で麻酔薬を注入された後に、ぜってえに寝させないぞ⭐︎という意を込めてLet's 開☆眼、一生目を開ける装置をはめられました。このときドクターは痛いよ❗️と言ってきました。もうすでに私は怖すぎて泣きすぎて涙が止まりませんでした。そして、点眼麻酔をボタボタッッッと入れられて、手術がスタート。なかなかこの点眼麻酔が効かず、何度も痛いですと言いまくりました。まあ意識があるので手術のチクチクとした痛みもそうですが、なんというか手術器具の金属音がうるさくて不快感がすごく、その音が余計に痛みを増させました。マジで怖い、痛いの繰り返し。このときほど痛いですって他人にキレながら言ったことはなかったと思います。ドクターは私の気持ちなんて構わず、「今から痛いことするヨ❗️」「怖いことするヨン❗️」と言ってきました。本当にちびりそうになりながら、常に腰を浮かしてクネクネとし、脚を捻りながら早く帰りたいの一心でした。局所麻酔な上に、目をガン開きさせられているので、視界には映るんですよね、器具の先端とか。それがまた怖くて私はずっと怖い怖い痛いって泣きながら叫んでいました。点眼麻酔が効かなくて普通に痛いこともあったので、痛い痛いって泣き叫び、ドクターはそれを無視し、10回以上叫んでから点眼麻酔を適当にボタボタ注ぐというルーティンでした。後、また何が怖かったって、助手の医師さんにいちいち説明しながら手術してたんですよ。どうやら私は厄介だったらしく、「難しい」「案外深いな」「なんでこんな血出てるんだろう」とか、いや意識あるから聞こえてるって〜!こっちも不安になるよ〜!何回も聞こえるように言わなくて良いじゃん〜!とか思いながら若干不快でした。それと何より、鼻に酸素穴あるのは良いものの、私が術中永遠に暴れるので、押さえつけられてました爆笑、抑えつけられた上に鼻から口の上の部分にかけて器具とか置いていたので、本当に呼吸しづらく、ずっとハアハアしてました。酸欠で死にそうでした。助けてくれ❗️これは拷問だ❗️と私は思いながら死にそうでした。終わりましたよ〜と言われ、ヘロヘロのまま病室に帰りました。このとき私は術後のしんどさについて未だ知りませんでした。

 術後1時間くらいはボーッとしてましたがまあ食欲とかはなく普通に寝ようと思っていました。するといきなり吐き気と頭痛が襲ってきて、のたうち回りました。看護師さんに死ぬと伝えて、我慢できず嘔吐しました。悪心だけなら良いものの、この世のものとは言えないくらい目の奥から頭にかけての鈍痛が酷く、ちょっと普通に殺して欲しかったレベルでした。大の大人に関わらず、一人の寂しさとこの症状が辛すぎたのも相まって苦しすぎて号泣しました。死にたい死にたい、しんどい頭痛い苦しいと泣いていました。服用鎮痛剤が効かず、静脈点滴してもらいました。するといつのまにか寝てしまいました。

 次の日にはケロッとしていましたが、朝の診察の際にまだ良くなってないと言われ、また処置されてしまいました。この日は執刀医のドクターだけで、また「ちょっと怖いことするけど5分だけだヨン❗️」と言われました。まあ5分だけだしと思ったのもつかの間。点眼麻酔のみだったので効くまでに時間がかかり、痛すぎて涙がまた止まりませんでした。痛い❗️痛い❗️とまた叫びました。この日の処置は前回の術中のチクチク痛みではなく奥からドンドン突かれている様な鈍痛で、本当に気持ち悪かったのです。絶対5分以上されましたが、終わった後に再度襲ってきた吐き気と頭痛が苦しくて、「なんで私がこんな目にあわなきゃいけないの?」と思わず泣きながら呟いてしまいました。仲の悪い元フォロワーに呪われた説を提唱しながら、またゲロゲロと吐き、鎮痛剤も効かず、前日同様に点滴してもらいました。この日から体勢固定のため面倒臭い日々が続きました。本当に泣きながらしんどいしんどいとまた看護師さんにダル絡みしてしまいました。申し訳ない。本当にめんどくさ患者だっただろうなと思います。すみません。

 実際に入院したのは手術当日からなのですが、ちょっと同室の方々がクセ大ありでした。というのも、一人の方が結構看護師さんに文句を言うのです。「あの人上手くない。痛い。ベテランにしろ。何年目ですか?」等々かなりうるさかったのです。それを聞いている時は私も医療従事者の端くれ、全ての人が皆偉いと大変遺憾に思っておりました。しかもここに就職できるという事は相当なエリートだぞ😤😤😤と勝手に怒ってました。まあ両日術後は自分の苦しみでなんも考えられませんでしたが、その方は私が二日目に退院なさいました。しかし、ご挨拶しなきゃ❗️とおっしゃり、私が術後ゲロゲロゲで苦しんでる時、ちょうど看護師さんに点滴されている間に、カーテンを開けられてヒヤヒヤとしました。すみませんと会釈し去っていきました。とりあえずその時は自分が苦しすぎてほっといてくれーーー!!!となっていましたが、まあ仕方ないですね。お気持ちもわかるしね、、、次②に続きます。

無能日記

 これを書いているということはまだ終わってはいないのだろうか。

 2022年も半分が終わったが、上半期はあっという間だったなあと感じる。結局自分は時間を無駄にして無駄にしていままで居座ってきたなと。最近、自分の無能さ不器用さに思いやられる。そのうえ病気しがちなので救いようのないデブに成り下がってしまった。夜寝る前に、「もし親が亡くなったらどうしよう」、「もし隣にいる夫に先立たれたら?」等と言いようのない不安に包まれる。何もしてなくても涙が出てしまう。勤務中は涙が出ないように一生懸命堪えている。さらに、※臭いし、デブいし、デカいし、トロいし、本当に終わってる、被害妄想が止まらない、被害妄想というか事実だからもっと怖い、本当に他人にどんなけ迷惑かけたら気が済むんだろう。ごめんなさいでいっぱいで死にたくなっている。家で一人にいるときは大声を出して泣いてしまう。泣いても誰も迎えにこない。誰も解決しない。自己責任。こうなってしまった自分が悪いのに。自分が嫌で本当に死にたい。

 自分が無能だということに気づいたのは幼稚園に通っていた頃である。普通の子ができることが全くできなかったのである。体育とか運動系は得手不得手があるから自分でも気にしていなかったが、折り紙だったりあやとりだったり、ふとしたアレ?なんで?と思った出来事が積み重なって、自分は本当に何もできないんだなと悟った。でもその頃はまだ若かった。親も自分の子供が発達障害かどうか必死に病院に行って調べたが、ただの健常無能者であることが分かった。無能具合が同級生に比べてダンチであることは明確であった。そのため、親は私に「あんたは何もできないんだから勉強しなさい」と言った。ずっとそう言われて20年育ってきた。すると、出来上がったのはなんだと思う?""※知識だけついた手が動かない無能モンスター""である。子供の頃は、無能だからしっかり勉強しよう知識を蓄えようと謎のモチベが保たれていたが、いざ自分が社会の場に参加するようになって気づいた。モンスターであると。そして、精神的にも経済的にも両親に依存していたことに気づいた。勉強しなさい→将来の進路ルートを全て親の言う通りにしてきた無能モンスター。自己決定が恐ろしく不可能なゴミ人間の誕生である。どうすればいいの?が増えた。苦手だということも増えた。無能を有能までは行かなくても少しでも能に変えようと努力する。しかし、思うように結果がついてこない。他人に迷惑かけかけドデカモンスター爆誕

 マイナス思考で沈みがちの私には現状を変えようと努めるものの、"もう消えたい"という感情で脳が支配される。自分のガイっぷりには飽き飽きしているので、ミスを起こさないように細心の注意を払う。でも上手くいかないのが現実である。何もしていなくても何も考えていなくても、涙が止まらない、気が付いたら泣いているやばい。無意識のうちに電車に飛び込もうとしたり(迷惑かけるから絶対にしないけど)、野菜を切るみたいに自分の首も切れたらと考えてしまったり、精神的によろしくないことが分かった。この自分の無能ドデカモンスター具合に呆れてしまった。もしこうなることが分かっていたなら、勉強なんてしなかったし、自分が生きていける道を全力で探していただろう。生きる価値がないとつくづく感じる。生きたいと思っている人に命を提供したいと。こんなに多大な迷惑をかけている私は申し訳ない気持ちでいっぱい。消えたいと…

    こういうことをインターネッツに書き込んでいる時点でまだどうにか生きたいと願っているのも事実。どうにかして、相手に迷惑をかけないように自立したいという希望を遅れた七夕としてお祈りさせていただく。

 

 ※臭い:私は今より痩せている頃から多汗症でかなりの汗っかき体質である。普通の汗を大量にかくのと同時にストレス汗もすごくかく。このストレス汗はかなりきつく臭う。もちろん制汗対策はしているのだが、それを超えるくらい臭い。私は脇ではなく背中と額に大量に汗をかくため、他人はダイレクトに私の激臭に被害を被るのである。臭い。

 ※知識だけついた手の動かないモンスター:何もできないのにもかかわらず、頭の中で考えることはできるため、変に意見し質問してしまう、ゴミゴミアイデア無能モンスターである。それならば、知識がなくまっさらな状態で無能の方が、知らないから1から学ぶことができ、結果このゴミゴミアイデア無能モンスターよりもさらに上達することができる。ゴミ❗️

メンヘラおきんたま星人

  どうも、タイトルは適当につけてしまいました、イキスギ都市伝説です。なんか面白そうで面白くない話でもしましょうかな💦

  パンツぱんくろうに対してエロスを感じていた幼稚園生時代から自分の思い通りにならないとあばれる君になるワガママ自己中おきんたまメンヘラだったのですが、友達の彼氏からワイがサバサバしているとの星3の評価をいただいたので、メンヘラ変遷について書こうかなと思います。

  ワイは幼少期から褒められるというより貶されてきました。その内容は容姿、要領、勉強、才能等、多岐にわたります。親自身もワイのことを貶すのは悪いことだとは思ってなかったし、ワイ自身も褒めて伸ばすタイプの親がいることは知らなかったんです。しかも、幼稚園時代の幼なじみの親御さんたちは外で遊んでる時に何も悪いことしていないにかかわらずイチャモンつけて怒ってました。そういう自分の友達が公の場で怒鳴られている場面を見てしまっていたからこそ、周りの影響も大きく、片田舎の毒よりの教育ママが生まれたんだと思います。当然、急に怒られたり、貶されたりそういう経験しかしていなかった私は「他人と比べて劣っている」自覚しかなかったわけです。そのような底辺な子供はどのように育つと思いますか?そう、「自分の全てを受け入れて認めてくれる絶対的存在」です。私はどんどん歪んでいき、メンヘラモンスターとなりました。

  ワイが本当にメンタルが弱くなりダウンしたのが今から4.5年前です。その時は正直気が狂っていました。恋人に求める条件が滅茶苦茶でした。

1.よく分からん地下アイドルフォローするな

2.よく分からんエロ画像でシコるな

3.よく分からんAV見るな

4.よく分からん女と話すな

5.女と同じ空気吸うな

 です。これはワイが激クソニート時代つまりもう部屋にひきこもって家から出ていない時代に考えたものなので滅茶苦茶なんです、自分を絶対的に認めてくれる存在だからこそ、ワイ以外の異性に目を向けることを許さなかったということになります。ガイジでしょう⁉️ワイは本当におかしかったのです。自己肯定感激低の癖に面倒くさい条件を押し付ける頭おかし子だったのです。ちゃんと大学に復学し、バイトもするようになってから、自分がまず異性と同じ場所に居ない、話さないということは100%無理だと気づきました。そもそも教授男やし‼️別にお互いほんまに下心とかないし、要件だけ話したら終わりというガチ上辺な関係ですしね、そらそうなんですよ。アホでした。確かに女子校時代はちょっとすけべそうなお爺さん教師はいましたけど、自分が社会の場に出たらそんな奴いませんでした。まあ確かにちょっとメンヘラがマシになった今でも積極的に異性と話すようなことはして欲しくありませんが。

  エロ画像については、ワイめちゃくちゃ集めるの好きなんです、個人的に。推しの絵師さんとかも居るくらいですからそこに関してはもう今はなんとも思いません。ですが、あんまり可愛くないやつとか毛が生えてるエロ画像は見て欲しくないです。まあ要は自分の価値観を押し付けてるだけなんです。毛が生えてるやつは見るなと。私はそう言いたいです。腹が立つので。

  AVとか地下アイドルとかもなんか同じような理由です、なんかムカつくから。まあでもこういうの正直ボーダーラインがキチッと決まってる訳じゃないです。例えばAV女優さんとかアイドルさん、本当に顔かわいい子が多いんです。だからこそ張り合うつもりとかは無いけれど負けた気になるんです、嫌だなと。でも男の人ってどうでしょう。大体の男優さんっておじさんばかりじゃないですか?なんかワイには珍棒がついていないので分からないのですが、女体でしこっているのですか?女体の場合完全敗北のため、現実を見て悲しくなるということを忌避したいために見て欲しくないです。しかし、女の人でAVを見る人は確実に男優さんのハゲ頭を見てしこってる訳では無いと思います、シチュとかに燃えてるんじゃないんですかね、何もわかりませんが。難しすぎる。奥が深いのでとりあえずこの問題について議論するのはやめておきましょう。

  今現在、あの頃から4.5年経って、冷静になる部分が少しだけ増えたということ、相手の立場になって考えるということができたことです。言うてまだまだなんですけど、どうにかこうにか大人になりたいです。

  長々となってしまいましたが、結局根本の自分の思い通りにならないとあばれる君になるということ、絶対的に認めてくれる存在であってほしいことは変わっておらず、心の狭いガイジには変わりないので、多分サバサバなんてしてないんだと思います。異性より同性を大事に出来るような人間になりたいものです。

都会に住んでみて

 

都会に住んでみて主観で感じたメリット、デメリットについてツラツラと書いていこうと思う。

【メリット】

①歩く時間が増えた。

②夜も明るい。

③(今の所)蛙がいない。

④交通の便が良い。

⑤公共交通機関の運賃が安い。

<理由>

①→実家にいた頃、外出する際は基本家族とだったので、車移動が多かった。日用品の買い物に関しては、歩いて行ける距離の所にお店がなかったからである。そして、何より最寄り駅が近かったので駅まで歩くまたは犬の散歩する位でしか自分の足で歩いて外に出ましょうってことは無かった。だから都会に来てまず歩数が増えたと感じた。

②→私の住んでいた地域では周りが田んぼだったため、電柱しかなくその灯りかポツンポツンと他のおうちの灯り程度の明るさだった。少し歩けばほぼ真っ暗な状態だった。しかし、今門限を超えて深夜に歩こうと思っても普通に歩ける。本当に明るいなあと感じる。

③→まあこれは今のところでしかないが、雨の日でも苦手なカエルがおらず、ゲコゲコが聞こえないのは本当に嬉しい。これから梅雨の時期になるが、夜中鳴り響くゲコゲコ音は不気味すぎる。まあ聞こえないことを祈る。

④→交通の便が良い、これは本当に感じる。遅延してるなあ、じゃあちょっと違う路線乗ろかで家に帰れるのはめちゃくちゃ良い。実家にいた頃なら、車で迎えに来てもらわないと帰れない。悔しい。

⑤→JRの一駅(しかも数駅も)が100円代なのは安すぎると思った。西日本の場合200円以上はかかるだろう。電車移動は結構便利だなと思った。安い値段でいろんな所行けるのはめちゃくちゃ嬉しい、窓から景色を見るのが楽しいです。

【デメリット】

①物価が高い。

②誘惑が多い。

③不親切な人が多い。

④道が分からない。

⑤人が奇声を上げている。

<理由>

①→安いですよ‼️と書かれている商品代金が大体関西にいる時より高いもののことが多い。私はラ・ムー愛好家だったのでそれ基準に考えるとめちゃくちゃ高いなと感じる。都内にもラ・ムーとマルアイを置いてくれと。でもたまに安い所もあるので、日々散歩して探すのも楽しい。

②→関西に住んでいた頃よりもキッチンカーとかクレープ屋さんがめちゃくちゃ多くて、つい買ってしまいます、しかもちょっと珍しいものとか見た目が可愛いものが多いので、マジで吸い込まれます。危険。毎日激太り人生ゎょな。

③→前は駅員さんに道を聞いたら、田舎モン乙❗️みたいな顔されて嫌な思いをしました。後は、勝手に並んでる順番を抜かされたこともあります。エレベーターを乗っている時に開くボタンを押しているとありがとうとかも言わずにそそくさとどっか行ってしまいます。関西ではありえない話‼️だいたいみんなありがとうすみませんを言ってくれるのでちょっとビックリしました。別にいいけど。

④→いろんな道がありすぎてマップに嘘をつかれます。目的地に着くの大概他の人の10倍の時間かかります。いやこれはワイが悪くて草。

⑤→マジでそれそんなおもろい⁉️みたいな事で永遠に奇声を発してゲラゲラ笑ってる人間が多すぎます。その話そんなおもろい⁉️みたいなのあります。おもんない話してる分にはいいですが、奇声をあげるのはやめてください怖いです。

 

以上感想を書きましたケドも、他にもどんどん出てくると思うので、そのうちまた追加するかもしれません。でゎ👋

お勉強について。

 今回は自分が今まで行ってきた勉強について書いていこうと思う。というのも、先程東海オンエアのある動画を見てそういえばと思いついたからである。私の人生を振り返ってみれば、自分の行ってきた努力というものは""程々に""や""割と""のラインで""結構""ではなかった気がする。あれだけ年下の子には偉そうに、「120%の努力を振り絞って頑張りましょうね❗️」って言っていた癖に、私自身ゴミゴミウンチマンは自分の中の60〜70%でしか頑張ってなかったような気がする。ということで自分がこの1年間(2021〜2022年)、人並みに努力してきたことについて詳しく書き留めて行こうと思う。
 2021年前期、まあTwitterを見てくれている皆さんはご存知だと思うが、院試の勉強をしていた。他の同級生はきちんと国試の勉強をしていたにもかかわらず、ワイは国試の専門科目は全く見ず院試のために英語の勉強しかしていなかった。と言うものの、いうて60〜70%くらいだったような気がする。もともと全然英語ができなかったとかそういうわけではなく、自分の中では大学生活の中で全くしていなかったモノを現役受験生までのレベルに持って行ければええなと言う位にしか考えていなかった。現役受験生の頃はひとなみには力がついていたから、その頃の感覚を取り戻そうとかーるく考えていた。大学の他学部の先生がきちんと問題文の訳し方とか教えてくださったので、すんなり頭に入った。100%の勉強とは、きちんと計画を立ててその通りに進めて一日10時間以上集中して行うことだと思うが、当たり前にワイは超ロングスリーパーだったのでそういうわけにもいかなかった。単語の見直し、scienceやnatureの一説を読む、過去問を解く等の当たり前のことしかやらなかった。それも頭が悪すぎるワイはそこまで効率よく出来ていなかったので、のほほーんとしていた。実際に院試を受けた後に落ちたと思い後悔した。アホだな。と思った。その後悔があったのに…ワイは…ワイは…

 2021年後期、まあワイのTwitterを見てくれている人ならご存知だと思うが、アホほど勉強してなかった。と思う。まあ実際最低限のことしかしていなかった気がする。国試対策授業も二限の時間に起きれなくてファ〜諦めよ〜とかしてたゴミゴミ&カスだった。さすがに焦り出したのは12月くらいからだった気がする。そもそも学内模試では合格ラインを常に取れていたので調子に乗っていた部分があったが、特に外部模試では得点が低く逆に現実逃避していた。どうやったら点数が上がるのか伸び悩んでいた。そこで、いくらでもサボってもいいが苦手単元だけは授業に絶対に出ようと自分に誓った。そのおかげで第一回目の模試では0点だったのに、国試本番では満点をとることが出来た。その時になって初めて学校の授業の偉大さを知った。しかし、国試本番ではめちゃくちゃ泣いた。絶対に落ちたと思った。ここでまたバカバカアンポンタンは気付いた。「もう少し勉強すれば良かったな。」と。アホすぎる。気づくのが遅すぎる。必要最低限の勉強とは、模試のやり直し、マスタードリルの暗記、1.2年の時のレジュメの見直し、の3つである。逆に言えばこれさえやっておけばなんとなく受かるが、このブログを読んでいる皆さんはナッ❗️なんと満点を目指しているはずである。ワイの性格上終わってから後悔しまくることが多いから、絶対にこういう何かクリアしなければならない状況になった場合、120%の努力をしてほしい。60〜70%の努力だと、100%クリアではない、ミスの可能性だってあるから。120%だったらそれは少なくなるだろう。
 このブログを読んでくれている皆さんには成功して欲しい。ワイはクソ&ゴミ&ガイジだけれど、皆さんは違うでしょう。""程々に""や""割と""ではなく、""結構""のラインを超えて、いろんなことを乗り切って欲しいなと思っています。ラブ❗️

[参考URL: https://youtu.be/CTePKcgg4p8]

しょーもな話

 毎日OMANKO 𝐄𝐯𝐞𝐫𝐲𝐝𝐚𝐲
 こんにちはイキスギ都市伝説です
 超元気なので久々に書きたいことを書いてみようと思います。今回はズバリ❗️前々から思っていたコトです‼️それではどうぞ、イキスギ都市伝説さんで、「キンタマアクメ」
 コミュニティ(特にネット)において、女が居ると男だけの空間だったものが完全に崩れるということ、こういう体験は皆さんも経験したことがあるのではなかろうか?私は今インターネッツにおいて、新しいコミュニティに2つ属しているのだが、そこであまりにも無理すぎる光景が起こっているので書き留めていこうと思う。不快に思った人はスルーしてバックして下さい。その2つの内1つはとても平和で男女関係なくお話して深入りもせず馴れ合いもないので、とても心地が良く居座り続けさせてもろてます。しかし問題はもう1つの方です。まぁ変な人観察の為に入ったと言っても過言ではありませんが、それでも恐ろしい。皆が皆マウントを取り合っており、それはそのままでもいいけれど、男が女を囲うムーブがキツすぎる。多分それまでは男同士で楽しくマウント取り合ってそのまま面白い空間だったんだろうけど、女が入ってからというより女も承認欲求を満たされるからwin-winなんでしょうね、女を囲うおちんぽ騎士団が気持ち悪すぎるのです。そういうところでわざわざ女アピールするOMANKOも無理だし、囲っちゃう軽いCHIMPOもキツイです。男女生殖器関係なく優しく対等に面白いこと言い合ってギャハハする関係は築き上げられないのでしょうか?本当に疑問です。何が楽しいんですかヤツらは?マジで意味がわかりません。イキスギ都市伝説さんはቻンቻンがቺቻቺቻなので💦😅流石にそういう奴らの考えることは何も分かりません。女アピールないし男アピール…する必要あるんですか?それで何が嫌って目に見えるところでイチャイチャする必要あるんですか?意味がわからないですね本当に。目に見えるように馴れ合いするのなら、個人チャットでしてくれよ‼️と思いますわね。(笑)ほかの童貞とは違うからアピールがしたくてたまらないのですかね…訳が分かりませんけど。男女は皆そういった謎のマウントの取り合いがしたいのかと思いましたがそうでも無いみたいです。他の方ではまともに会話していますし…平和になったらいいなあ
目指せ世界平和😚
 と、まあよく分からんことを大量に書きましたが、別に嫌いな訳では無いんですよ。1:1じゃなくて皆それぞれで仲良くしたらいいんじゃないかなって思うんですけどね。男女が性欲あるのはそりゃ仕方ないことですが、お互い性欲見せなければそういうキモムーブ見なくていいんですからね。仲良くしようや‼️